水戸黄門

長寿番組である。毎回、勧善懲悪のコンパクトなストーリーが、日本各地を舞台にして展開される。よく言われることだが、その手堅い安心感がいい。歳をとってくると、複雑で奇想天外なストーリーにはついていけなくなる。プロットのなかに、何度も予想外の出来事や事態が混ぜ込まれると、年老いた推理力は、もう音を上げる。

だから、水戸黄門くらいがちょうどいい。

しかし、いまのシリーズは、どうも楽しめない。かつて、すけさんだか、かくさんだかをやっていた人が、いまは黄門様だ。前のシリーズを知らなけれは、どうということはないのだろう。だが、ぼくは知っている。あれはたしかに、むかし、黄門様の家来だった人だ。

いまの世の中なら、昇進ということがあるだろう。今日の新入社員が何十年後かに社長になっていることは、十分ありうる、というよりも、それが普通だ。昔の世の中でも、商人の世界なら、丁稚が出世して番頭になり、やがてその商家の娘婿となり、商家の大旦那となることもあったのかもしれない。

しかし、黄門様はちがうだろう。それは身分制社会の原理に忠実であるからこそ、あの権威をもつことができるはずだ。どんな悪等も最後にはひれ伏さざるを得ないあの威信は、「生まれがらの統治者」であるがらゆえの特権だ。だから、いまの黄門様が威信を失いやしまいかと、いつも見ていて不安になる。

「け、えらそうに、黄門様の腰巾着ふぜいが、なにをえらそうに」

なんて言いやしまいか不安になる。

そうなると、現役のすけさん、かくさんが「こちらに…」と言ったところで、収まるはずもない。

どのような権威も自明ではありえない…どこかでみたような風景が、画面に映し出される。それはもう娯楽ではない。単なるニュースだろう。年寄りの楽しみがまた一つなくなるのである。

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